「あれ? もう時間じゃない? そろそろいいよ」(小声)
「はい。じゃ、そろそろ……」(小声)
時刻はピッタリ16時。
パート社員のAさんは、お子さんのお迎えがあるので、16時上がり。
オフィスを後にするAさんに気づくメンバーも、目配せのみ。
“おつかされまでした~”
口にはせず、声にもせず。
オフィスを後にするAさんも、目が合ったメンバーに目配せのみ。
“お先に失礼しま~す”
口元にはせず、声にもせず。
とある会社のオフィスでは、16時近くなるとこんな光景が見られます。
「そろそろ時間じゃない? 上がれる?」(小声)
「はい。大丈夫です。お先に失礼します」(小声)
「“お先に失礼”はいいって言ってるじゃない」(小声)
「あ、そうでした。ありがとうございます」(小声)
時刻はもうすぐ15時。
パート社員のBさんは、お子さんのお迎えがあるので、15時上がり。
時間と共に、無言でオフィスを後に。「お先に失礼します」は言いません。
Bさんの退社に気づく社員もいますが、「おつかされまでした~」は言いません。
とある会社のオフィスでは、15時近くなるとこんな光景が見られます。
『働き方改革』の名のもとに、雇用体系や勤務形態が多様化し始めているようです。
子育て世代の社員を抱える企業は、時短勤務が当たり前になってきました。
個人的には“働き方改革”が何を意味しているのかいまだにモヤモヤしていますが、“働きやすさ”につながるものであって欲しいとは思っています。
“時短勤務”に関しても、制度の導入で安心するのではなく、“時短勤務”で働いている人の“働きやすさ”につながっていたらいいなとは思っています。
先ほどのAさんとBさんに、聞いてみたことがあります。
“働きやすいですか?”と。
違う会社で働く二人ですが、同じ答えが返ってきました。
「働きやすいですよ」と。
Aさんのオフィスでみられる光景に、僕は違和感を覚えていました。
Bさんのオフィスで見られる光景にも、僕は違和感を覚えていました。
“「お先に失礼します」って言わないんだ……”と。
先ほどのAさんとBさんに、聞いてみたことがあります。
“「お先に失礼します」って言わないんですね?”と。
違う会社で働く二人ですが、同じ答えが返ってきました。
「はい、会社がそうしてくださってるんで……」と。
詳しく聞いてみると、AさんもBさんも、こうおっしゃっていました。
「帰る際、同僚に聞こえるように“お先に失礼します”を言うのが何よりストレスだったんです」
時短勤務であることは自分も同僚も認識している。
しかし、「お先に失礼します」という言葉自体、これからまだ仕事を続ける同僚に対して、なんとなくの負い目を感じてしまう。
同僚たちはなんとも思っていのは解っているが、どうも負い目を感じてしまう……。
そんな話を上司やトップにしたところ、“お先に失礼します”は言わなくていいよ、となったそうです。
トップからアナウンスがあり、仲間たちもすぐに受け入れてくれたそうです。
僕は違和感を覚えたことに恥ずかしくなりました……。
“働きやすさ”は、時短勤務という『制度』ではなく、気遣いという『風土』から生まれるのかもしれません。
『風土』という言葉で思い出したことがあります。
まだ僕が20代の頃。とある会社にお邪魔した時のことです。
その会社の社長のデスクの横には、背もたれの無い小さな丸椅子が置いてありました。
「社長、なんですか、これ?」
「“これ”って平間さん、誰がどう見ても椅子でしょ」
「あ、スイマセン。椅子ってのはわかるんですが、なんでここにあるのかな? と」
「あ、そういうこと。社員が相談に来た時に座ってもらうため」
「座ってもらうため、ですか……」
「だって、そりゃそうでしょ。社員を立ったままにさせとくの?」
僕が戸惑った顔をしているのが分かったのか、社長はこう続けました。
「座れば、目線が対等になるでしょ? だから」
目から鱗でした。
一方が立っていて、一方が座っている。
当然、目線はどちらかが上。
でも、座れば目線は対等になる。
対等な立場で話を聞くよという意思表示であり、実際にそういう気持ちになる。
思わず唸ってしまいました……。
その会社は数百人規模のオーナー会社でしたが、何度お邪魔しても社員同士がフラットな関係性を感じられる会社でした。
“そんなことで”と当時は思っていましたが、“そんなもんか”と思うことにしました。
それから20年近くたち、いろいろな会社を見てきました。
トップや幹部のデスク横に椅子が置いてある会社もいくつか見てきました。
(“椅子を置いてある会社って、意外と少ないんだな”と感じています)
共通しているのは、“組織がフラット”だな、ということ。
制度としてフラットな組織を形成しているというわけではありません。
フラットな空気が感じられる組織なんです。
空気というか、風土というか。
それから共通していたのは、“自分から出向く”ということ。
上司や幹部はもちろん、トップであっても“自分から出向く”ということ。
“用事があるなら呼びつければいいのでは?”という人もいるかもしれません。
違うんです。用事があるから自分から出向くんです。
「ちょっといい? 来週のキックオフの件で教えて欲しいことがあるんだけど……」
上司や幹部はもちろん、トップであっても“用がある仲間のデスクに赴く”んです。
しかも、仲間のデスクに赴くだけでなく、腰を屈めて、時にはしゃがんで。
「ちょっといい? 来週のキックオフの件で教えて欲しいことがあるんだけど……」
目線を対等にして、時には自分が下に降りて。
実は、こういう会社って、上司や幹部やトップだけじゃなく、社員もそうすることが多い。
用事があるから自分から出向く。
デスクに赴くだけでなく、腰を屈めて、時にはしゃがんで。
そういえば、20代の頃にお邪魔した会社も、そんな会社だったように思います。
「社長って、社員を呼びつけることはないんですか?」
「ん? どうして?」
「社長は、用があれば社員のデスクに赴くじゃないですか」
「そうだね」
「だとすると、この椅子ってあまり使われないのかな、と思いまして」
「そんなことはないよ。社員は常に僕のところに報告に来るからね」
「あ、そうですね」
「それに、呼びつける社員もいるからね」
「呼びつける? ホントですか?」
「“都合”の奴は、呼びつける」
「“都合”、ですか……」
僕が戸惑った顔をしているのが分かったのか、社長はこう続けました。
「事情には優しく、都合には厳しく、だよ」
「事情には優しく、都合には厳しく、ですか……」
僕がさらに戸惑った顔をしているのが分かったのか、社長はこう教えてくれました。
「お子さんが生まれる。おめでたいことだよね」
「はい」
「でも、保育園のお迎えとか、急に熱出したとか、いろいろあるじゃない」
「はい、そうですね……」
「自分の意志とは無関係に、いろんなことが起きる。でしょ?」
「あ~、そうですね」
「それが事情さ」
「はい」
「子育てだけじゃなく、介護の問題もある。家庭だけじゃなく、本人の体調が体調を崩すことも」
「ありますね……」
「だから会社はなんとか支援できないか、と考える」
「一方で、社員が遅刻してきたとする。しかも、その理由が二日酔いだ……」
「はい」
「飲みすぎたから、二日酔いだから、起きられなかったから。どう思う?」
「いや、それはダメですね……」
「自分の意志でどうにでもできるのに、しない。わがままじゃない?」
「そう思います」
「それが都合さ」
「はい」
「何か問題が起こった時に、自分の都合のいいように解釈したり、自分のわがままを通したり……」
「ありますね……」
「そこは叱らないと。正さないと。ダメなものはダメだと教えないと」
僕に言われているようで……。
気が付くと、背筋を正して聞いていました……。
今になって思いますが、“いいな、こういうのって”と思います。
“きっと、働きやすいんだろうな”と思います。
“エンゲージメント”という言葉を聞くことがあります。
“社員の組織に対する愛着心”という意味らしいです。
この言葉を借りるなら、“エンゲージメントを高めるために”といろいろな取り組みを行っている企業も多いかと思います。
ただ、社員の組織に対する愛着信を高めたいがために、社員の希望や要望をあれこれ受け入れている企業も少なくないのではないかと感じています。
事情だけでなく、もしかして都合も。
事情を受け入れ支援する努力はあって然るべき。
しかし都合を受け入れるのは迎合でしかないと思っています。
事情に優しく。都合に厳しく。
トップがこの考え方でいると、良い組織になるのではないかと思います。
そして、働きやすい組織になるのではないかと思います。
制度ではなく、風土をつくる。
いろいろな考え方があってしかるべきですが、僕はそう思っています。