「あれっ? それ、(モンブランの)スターウォーカーじゃない?」
思わず声をかけたら、彼は顔を僕に向け、
「そうです。ほかにも、ウォーターマンとかクロスとか……」
と、今まで見たことがない笑顔を見せながら、ペンケースを見せてくれました。
「へぇ~、いいね。僕が社会人になって初めて買った万年筆、ウォーターマンなんだよね。1万円ぐらい安い奴だったけど……」
「基本はボールペンです。ローラーボール(水性ボールペン)もあります」
そんな会話を、研修中だというのに5分ほど話し込んでしまいました。
以前の話です。
ひと研(僕が主催の会員制勉強会)の新入社員のことです。
1泊2日で、さまざまな企業から計15名ぐらいの受講者が集まっていました。
彼とは、1日目の研修中、そして夜の懇親会でもなかなか打ち解けられず、ちょっと気になっていました。
2日目の午後。
最終講義も終わり、学んだことをアウトプットするために各自シートに記入する時間でした。
静まり返った研修会場で、一人ひとり、思い思いの文章を書いていました。
文具マニアの僕の目に留まったのは、彼の文章ではなく、彼が手にしているボールペンでした。
“え? モンブラン? 新入社員が?”
今では多くの社会人がフリクションや書き味のいいジェットストリームなど、数百円で買えるモノを多用する時代。
文具マニアの僕は無意識に話しかけていました。
単なる文具マニアがモンブランに気を留めて話しかけただけだったのですが、彼にとっては嬉しかったようです。それから距離感がイッキに縮まったのは、いうまでもありません。
『共通項が、互いの距離を縮める』
コミュニケケーションや自己紹介の基本ですが、それを気に留めて、気にかけることができる人はなかなかいません。
僕も、若者のトレンドや流行にはめっぽう疎いですが、唯一、文具マニアということもあり、筆記具というテーマでは共通点を見つけたら、気に留めるだけでなく、気にかけるようにしています。
今では親友に近い間柄になっている某コンサルティング企業の社長とのご縁も、筆記具でした。
まだ僕がサラリーマンだった頃(某社長もまだ一社員に過ぎない頃)、初めてお会いしたオフィスで、「それってモンテグラッパですよね?」と声をかけたことで、イッキに距離が縮まりました。
それほどこだわりがあるわけではなかったようですが、「モンテグラッパだと言われたのは初めてです」と嬉しそうに返してくれたことを、15年以上前のことですが、鮮明に覚えています。
人との共通項が圧倒的に少ない僕ですが、“気に留める、気にかける”ということは常に意識しています。
共通点がなくとも、意識して声をかけるようにしています。
(人見知りなもので、なかなかできないことも多いですが……)
僕が“気に留める・気にかける”を強烈に意識することになったきっかけがあります。
それは、社会人3年目のこと。
僕が新卒で入社したコンサルティング会社では“ローテーション制度”というのがありました。
1年目、2年目はさまざまな部署に一定期間配属され、その部署での仕事を学ぶ。
その後、3年目になる前に“どの部署に行きたいか?”と総務に聞かれ、希望を出す。
もちろん、希望を出してもその部署から受け入れてもらえなければ希望は通りません。
同期20人のほとんどは、希望通りの部署に配属が決まりました。
すべてが第一希望というわけではありませんが、おおむね希望先には収まりました。
どこからも受け入れてもらえなかったのは、僕ともう一人。
もう一人は総務の調整によって配属先が決まりましたが、それでも僕は決まりませんでした。
結局、ローテーションでも行ったことがない、保守本流とは異なる部署に決まりました。
「どこにも行くとこがないなら、ウチに来ていいよ」
どこにも決まらなかったら辞めるしかないのかも、と思っていた僕は、そこに拾ってもらえました。
そこは、コンサルティングをするのではなく、経営者向けの勉強会を主催する部署でした。
東京、大阪をはじめ、全国5か所の会場で経営者向けの勉強会を企画、運営する。
勉強会の講師は、創業者やトップコンサルタント。
会場設営や受付、司会やご参加企業のサポートをするのが仕事でした。
勉強会をする部署に配属されて3か月ほどたった頃。
人出が足りないということで、僕も実施会場である新潟まで出張することになりました。
勉強会は懇親会まであり、帰りの新幹線は20時過ぎに新潟を発ちました。
「そういえば、平間さん、社長にちゃんと挨拶してないでしょ?」
新幹線の座席を回転させ、事務局4人で話していたら、突然先輩が言い出しました。
「いや、いいですよ。そんな社長にあいさつなんて恐れ多い……」
僕がかたくなに拒むと、先輩は、
「いや、これから一緒になること多いんだから、最初が肝心だよ」
と強引に、いやほぼ命令口調でグリーン車に行くことを勧めてきました。
グリーン車には人がほとんど乗っていませんでした。
20時台に出発する東京行の上越新幹線はこんなもんかなと思いながら通路を進むと、座席からはみ出た社長の肩が見えました。
「お休みのところ恐れ入ります。ご挨拶が遅くなりました、今年からこの部署に配属になりました平間と申します」
背後から近づいた際に、起きていらっしゃるのが分かったので、勇気を出して声をかけました。
「ああ、そうですか。わざわざありがとう。こちらにどうですか?」
社長は僕を通路の反対側にある席に座るよう促しました。
「あの、でも……。グリーン料金が……」
「大丈夫ですよ。駅員に言われたら、みんなのところに戻ればいい」
挨拶だけで帰ろうと思っていた僕は、席に座ったものの、何を話していいかわかりませんでした。
「I君(僕の新しい上司です)はどうですか?」
「あっ、はい。非常によくしていただいています」
気を遣ってか、社長から僕に話しかけてくださいました。
「本配属、どこも受け入れてくれなかったからって落ち込まないことです。
I君も久しぶりに新卒社員が来てくれたと喜んでいたし、この部署は創業者はじめトップコンサルタントの話が間近で聞けますからね。いい経験になりますよ……」
緊張していた僕の身体に、電気が走ったような衝撃が走りました。
“300人も社員がいる会社の社長が、単なる一兵卒にすぎない3年目の新卒社員が本配属がどこにも決まらず、やむなく今の部署に拾ってもらえたことを知ってるなんて……
“すごい……。っていうかこの社長、すげぇ……”
僕はその瞬間、社長に忠誠を決めました。
末端の社員にも、一兵卒に過ぎない3年目社員のことを気に留めて、気にかけてくれてる……。
その後もいろいろ話したのですが、内容はまったく覚えていません。
「そろそろ席に戻った方がいいよ」
社長に促されると、新幹線はまもなく大宮に着くことを告げていました。
“300名規模の組織になっても、トップはここまでしないといけないのか?“
そういうことをお伝えしたいわけではありません。
50名の組織でも100名の組織でも、規模の問題ではないと思います。
大事なことは、トップが末端の社員を気に留めて、気にかける、ということ。
気に留めてもらって、気にかけてもらって。
そして声をかけてもらった社員が感激しないはずがないと思います。
組織づくりって、制度や仕組み以上に、こうした細かいことが大事だと思います。
以前、お付き合いしていた会社でこんなことがありました。
支援先のプロジェクトに参画していたメンバーの一人(女性)が、
「先日、社長から“ご結婚おめでとうございます”って言われたんです!」
「え、そりゃ社長も言うでしょ。おめでたいことだし」
興奮して話すメンバーに、僕はちょっと冷めた感じで答えていました。
「いや、だって私、社長に結婚したこと報告してないんです」
「え? そうなの?」
「はい。内緒にしてましたから……」
「そっか、じゃ、社長から言われてもイラっとするね。“なんで知ってんの?”って感じだね?」
「いや、感激しました!」
「は? 感激? なんで?」
そのメンバーに詳しく聞くと、社長は彼女にこう言ってくれたそうです。
「ご結婚おめでとうございます。新婚旅行はいつですか? 有給、ガッツリ使ってくださいね。もしも××(上司)に嫌な顔されたら、私に言ってください。私からしっかり言っておきますから」
新婚旅行の計画をし、こっそり有給申請を出そうと考えていた彼女は、結婚の事実を公にすることを躊躇していたそうです。
そんな彼女の心情を知ってか知らずか、社長に“有休、ガッツリ使ってくださいね”と思いがけない言葉をもらい、感激したんだそうです。
後日、社長に聞いてみました。
“なぜ彼女の結婚をご存じだったんですか?”と。
社長は、『身上異動書』を上手に活用されていたようです。
社会保険の手続きに多用される身上異動書、その会社では独自の申請書を作っていました。
住所変更、氏名(苗字)の変更、扶養者(子供など)の増減等。
変更があれば社員は総務に提出することになっています。
この身上異動書、社長は社員から提出があったら知らせてくれと総務に依頼していました。
総務から彼女のことを聞き、たまたま社内で会った時に伝えた、と。
慶弔見舞金や家族手当をいくらにすればいいか悩んでいる会社も多いと思います。
ただ、慶弔見舞金も家族手当も、制度化仕組化すると、社員は権利として受け止めます。
“もらうのが当たり前”と。
でも、先の社長と彼女のやりとりにおいて、彼女は社長に“感謝”いや、“感激”していました。
トップが気に留め、気にかけるような会社、組織は暖かいと思います。
“とはいえ、社員から個人情報が云々いわれたらどうするの?“
そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。
そういう会社は、そういう組織なんだと思います。
そういう空気、文化になってしまった会社、組織には、こうした話は不向きかもしれませんね。
トップの考え方で決まると思っています。